魂の病院

”鍵っこ”だった子どもの頃、学校から帰って宿題が終わると、楽しみは本だけだった。私立の学校で徒歩圏内に友だちはいないし、宿題の量も大したことはなかったから、母親が仕事から帰るまでの時間は、本とおやつだけが娯楽。デジタルデータもネットもない時代、学校の図書館は宝の山だった。当時は本を借りると、書名と著者名、貸出日と返却の印が押される紙の貸し出しカードというのがあって、同じ境遇の級友とこのカードが年間何枚になるか競うように本を借りた。

彼女の好みは私とは方向性が違っていて、読む本は異なるジャンルが多かったが、だからこそ読んだものを報告し合うのは面白かった。彼女が読んだものまで「読んだ気」になれたし、あまり面白そうに話すので、結局あとから同じ本を借り出すことも多かった。学校の勉強で興味が持てたのは歴史だけ。家に帰れば留守番と夕食の準備が待っていて、ほかに面白いことは皆無。今振り返れば、モノトーンな私の子ども時代を救ったのは、本と彼女との交流だったかもしれない。小中高校と一緒に過ごして、大学で国境をまたいで進学してからは、お互いが知らない場所の図書館の話を手紙で報告し合うようになった。旅好きは彼女と私の共通点で、国内外問わず、旅先での図書館や書店めぐりは、いつの間にか二人の間の黙契と化した。

羊皮紙の時代、傷のない羊一頭からとれたのは二つ折り用紙1枚。小さな本を一冊作るだけで20頭分の皮、1000ページの聖書を作るには250頭の羊が必要だったという。印刷機の出現以前に、ヨーロッパ全土にあった書物は約5万点。4世紀以降、キリスト教の修道院の書庫が果たした役割は大きい。欧州の図書館を巡ると、必然的に修道院の図書館めぐりになるのはこのためだ。

スイス東部にあるザンクト・ガレン修道院は、アイルランドの修道士ガルスが7世紀初頭に創設したもの。修道士たちは代々たくさんの写本を作り続け、蔵書を増やした。学校もできて、10世紀ごろには文芸の中心地になったという。

現在の修道院附属図書館の建物は、18世紀に改築されたバロック建築の傑作。オーストリアのアドモント修道院図書館と並んで、世界最大級の中世図書館だ。宗教改革の時代の困難も切り抜けて蔵書は増え続け、現在の蔵書は約17万冊。なかなか足を運ぶ機会がなく、ずっと憧れの地であり続けたこのザンクト・ガレン、念願かなってようやく訪れた修道院図書館の入り口には、ギリシャ語で”ΥXHΣ IATPEION”(魂の病院)という文字が掲げられていた。時代を問わず、書物は魂を癒やす力を持っている。