月別アーカイブ: 2013年11月

ステレオタイプの核心部分

個人の日常会話から、報道、インターネット上の文章や画像に至るまで、コミュニケーションと言われる意思伝達の過程で、しばしば問題になるのが「ステレオタイプ(ステロタイプ)」と呼ばれる画一的なものの捉え方と表現だ。先入観や偏見と同様、学術的な根拠に乏しい”分析”が生みだす表現は、それでも尚、ある社会集団や個人を表象する道具となることが少なくない。例えば、日本人は秩序正しいが情緒的でイデオロギーが薄弱だ、とか、ドイツ人は規律に厳しいが、ビールを飲み過ぎる、など、この手の例は枚挙に暇ない。

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時間という言葉

数年前に亡くなった、義母の台所に立った。嫁だとは口が裂けても言えないほど不義理で役立たずの嫁が、久しぶりに一人暮らしの義父を訪ね、夫と三人で囲む鍋を作る。材料は買い揃えても、どこにどんな鍋があり、どんな調味料があるのかすら定かでないのは、親不孝を重ねた証明だ。棚を開け引き出しを引き、台所の明るい窓沿いに下がる調理道具を回して手にとる。まな板に野菜をのせて切り始めてから、その使い慣れたまな板に思い出があふれ出た。使い慣れていたのは、義母のまな板ではない。十数年前、パリの家を訪ねてくれた義母が、私が使っていたまな板を気に入って、同じものを買って帰ったから、私の家のものと同じなのだ。

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