カテゴリー別アーカイブ: 絵画

再会

この2か月は日本美術に傾いた。「ざわつく日本美術」と「巨大映像で迫る五大絵師」、そして「三菱の至宝展」という三つの展覧会を渡り歩いた。

一つめは作品展示の方法がユニークで、今は複数の作品として保存されていても、元々一つだった作品を隣に並べてかつての姿を想像できるようにしていたり、器や絵画の裏側に焦点を当てたり。硯箱と蓋をバラバラに展示して、セットを当てる、という趣向もあった。

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48万点の森へ

この歳になると、ほとんど”白状”の領域だが、これまで源氏物語を通読したことがなかった。日本最古、いや世界最古の長編小説の一つであり、欧米でギリシャ神話がさまざまな表現や比喩の前提になるように、日本文化やその精神性を表現する時の暗黙の前提になってきたこの物語は、日本文学の礎の一つとも言える。にもかかわらず、上代、中古と分類される日本のいわゆる古典言語や、物語の理解に不可欠な古今集など和歌に関する個人的な無知、社会体制や感覚の隔たりを越えた理解ができないのではないかという恐れに尻込みして数十年。とても有名な箇所を拾い読みくらいはしたけれど、それもあまりに断片的で、固有名詞くらいしか記憶には残っていなかった。

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CERCA, TROVA 

箱の中に偽物のトカゲを隠しておいて、友人を驚かせる。ヴァザーリが書き残したダ・ヴィンチの人間像には、科学や美術、解剖学から工学まで知り尽くした天才の、日常の息づかいが感じ取れる。動物好きだったことはよく知られているが、ヴァザーリはダヴィンチが徹底したベジタリアンだったと書いている。肉食を殺人と同等の殺戮だと非難し、市場で檻に入れられた動物を見つけると即刻それを買い、放してやったという。ヴィーガンではなかったにせよ、ルネッサンス期にここまで徹底した反肉食。4世紀を経て医学や技術が猛烈に進んでも、人々の足元にある議論というのはあまり更新されないものなのかもしれない。換言すれば、こういう多様性は時代を問わないということだ。

鏡文字、右から書かれた文章など、隠された「コード」という魅力が散りばめられた彼の足跡に、心惹かれる人は多い。極めつけが壁画「アンギアーリの戦い」。フィレンツェのヴェッキオ宮殿にあるヴァザーリの壁画に描かれたフィレンツェ兵士の軍旗に、”CERCA TROVA” (探せ、さすれば見つかる)という文字が発見され、高周波探知機で壁画を調査、その文字周辺の壁の裏側に空洞があるということが分かっている。ダヴィンチの「アンギアーリの戦い」はそのあたりに隠されているのではないか、と調査チームは確信している。ダヴィンチを崇拝していたヴァザーリが、壁画の破壊を看過したはずがないからだ。

Palazzo Vecchio, Firenze
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好きだけれど門外漢

美術館でのんびり絵を眺めるのは好きだが、美術は素人だ。子供が小学生の頃、一緒に水彩画を習ったことはあるけれど「おけいこ」の域。はっきり言って絵は下手な方だし、美術館に行って絵画を見ても、解説がなければいわゆる「見方」は分からない。有名な絵なら画家や時代背景くらいは分かっても、それ以上は「圧倒されるわねぇ」とか「細かい描写だわ」という感想文レベル。抽象画に至っては「好き嫌い」くらいしか意見は言えない。

つまり見るのは好きだけれど、門外漢。いつか基礎的なことを学んでみたいと思っていたところに、ぴったりのMoocを見つけた。「簡単な美術史」。初心者、素人向け、と書かれていても、実際受講すると結構な基礎知識を必要とするMoocもあって、途中でフェードアウトという経験もあるが、この講義は「できるだけ専門用語を使わないようにしています」というイントロダクションが気に入った。「それでもスフマート(ダヴィンチが始めたといわれる絵画の技法)やオダリスク(トルコのハレムにいた奴隷)という言葉に躓いたらこちらへ」と用語集もついていて、手取り足取りだ。

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記念日

長いのか短いのか、時間の感覚はほかのものに負けず劣らず相対的なもの。全体を見渡せばあっという間ではあったし、個々の出来事を思い返せばもちろん、ずいぶん遠くに来た、という一種懐旧の情を免れない長さでもある。今や、「結婚」という形式自体にどれほどの意味が見出せるのか分からない時代にはなっているけれど、結婚前の人生よりもそれ以降の年月の方が長くなり、私にとっての一義的な「家族」は紛れもなく今の家族になっているから、やはり個人的には、結婚という出来事は人生の大きな節目になっている。

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Entre la “nature morte” et le “still life”

マネ、ドガ、ゴッホ、クールベ、そしてドーヴィニー。印象派の絵画展で静かな休日を過ごす。目はアートをどっぷり味わいつつ、絵画銘板の言葉が頭の中を行き来する。あちこちの国にある美術館の所蔵作品が集められているから、銘板にはその言語圏の言葉と日本語訳がついている。”still life”、”nature morte”, そしてその日本語訳に当たる「静物画」だ。どれも果物やジビエ、調度品などを描いた作品のメタな概念だが、言語が異なるとその言葉が指し示す概念が微妙に異なり、なぜその言語圏ではそういう概念でくくったのかが気になってくる。

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