タグ別アーカイブ: 生活

記念日

長いのか短いのか、時間の感覚はほかのものに負けず劣らず相対的なもの。全体を見渡せばあっという間ではあったし、個々の出来事を思い返せばもちろん、ずいぶん遠くに来た、という一種懐旧の情を免れない長さでもある。今や、「結婚」という形式自体にどれほどの意味が見出せるのか分からない時代にはなっているけれど、結婚前の人生よりもそれ以降の年月の方が長くなり、私にとっての一義的な「家族」は紛れもなく今の家族になっているから、やはり個人的には、結婚という出来事は人生の大きな節目になっている。

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柿のタルト

昔はあまり柿を食べなかった。果物なら桃とか梨、いちごの方が好きだし、柿はお菓子作りにも向かないと勝手に思っていた。ところが、バターでソテーした柿の味をフランスで知ってハマってしまった。


もちろん柿はアジアの果物だけれど、最近はパリの市場でも季節になるとkakiとして売っている。えびす南瓜もHokkaidoという名前で出ている。

柿は形が崩れないようにそっとバターでソテーして、シナモンやカルバドスで香りづけ。甘すぎないようにブリゼ生地を作って、これにソテーした柿を並べて焼く。

オーブンから漂う甘い香りは、在宅仕事のちょっと内向きなストレスを穏やかに流してくれる。焼きあがる前にコーヒーを淹れて、焼きたてのタルトでお三時。おやつ作りはちょっと時間を取るけれど、食べる家族の笑顔にも癒される。

言葉の主体性

インフルエンザが流行する中でも、めったに罹ったことがない私が、今年は早くも気管支炎で臥せった。何せ40度の熱が3日も続き、仕事はおろか、家のことも、スタートしたあちこちの忘年会もみな辞退。細菌ではなくウィルス性だったから抗生物質ももちろん処方されず、熱が上がったら解熱剤を飲む、の繰り返しで、自分で抗体ができるのを待つだけ。38、39度くらいでウイルスは死滅すると聞いたことがあるから、そこまでは解熱剤も飲まずに我慢するのだが、40度に届くとダウン。その繰り返しが3日続いた。

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語彙

ARPANETに始まるインターネットの歴史は私が生まれる前から始まっていて、「その恩恵で」などという言い方は”今更な”感じは否めない。でもやはり、ネットがあるから居場所を問わず仕事ができる、という事実は、たとえ今更でも感謝に値する。この仕事を始めた30年前は、毎日会社に行って、原稿用紙に原稿を書いて、デスクが赤ペンで直してパンチャーさんが打つという一連の作業が、まだあった。いずれみんな家でコンピューターを使って仕事をするようになり、”容器”としての会社はどんどん縮小されていくのだろうと、何となくは思ったが、その頃、30年後の私がこうやって生活しているという風には、想像も予想もしなかった。

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時間という言葉

数年前に亡くなった、義母の台所に立った。嫁だとは口が裂けても言えないほど不義理で役立たずの嫁が、久しぶりに一人暮らしの義父を訪ね、夫と三人で囲む鍋を作る。材料は買い揃えても、どこにどんな鍋があり、どんな調味料があるのかすら定かでないのは、親不孝を重ねた証明だ。棚を開け引き出しを引き、台所の明るい窓沿いに下がる調理道具を回して手にとる。まな板に野菜をのせて切り始めてから、その使い慣れたまな板に思い出があふれ出た。使い慣れていたのは、義母のまな板ではない。十数年前、パリの家を訪ねてくれた義母が、私が使っていたまな板を気に入って、同じものを買って帰ったから、私の家のものと同じなのだ。

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空気の重さ

フランス北西部、ノルマンディーのルーアンという町に来ている。ディジョンからパリを抜け、英仏海峡に流れ出るセーヌ川が蛇行してこの町を通り、ローマ時代から水運の拠点として栄えてきた町だ。かつてのノルマンディー公国の首都であり、ジャンヌ・ダルク終焉の地として、またモネが30点以上も描いた大聖堂も知られている。

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