違う言語をしゃべっていると、少しだけ自分が違う人格になっているような錯覚を起こすことがある。
諸々の事情で、母語である日本語のほかに、フランス語、イタリア語、韓国語を使う機会が少なくない。仏伊に関して言うと、ラテン系の言語だからこの二つは似ているが、それでも主語を省略することが多いイタリア語を話している時と、ロジカルな筋をこれでもかと追い求めるフランス語をしゃべっている時は思考回路が隔たる。韓国語は日本語と構造が似ているが、細かい表現になると、韓国語の方が大陸的な思考でしゃべっていると思うことがある。
続きを読む