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ベケットの“結末”

若い頃には分からなかったことが、「腑に落ちる」瞬間というのがある。

映画「アプローズ、アプローズ」を見て、ベケットの「ゴドーを待ちながら」を再読した。白状するが、数十年前に読んだ時はその面白さはほとんど分からなかったし、批評を読んで後付けの理解はしたものの、それ以上に感じるものはなかった。若くても、存在への懐疑を抱き人生の意味を考える人もいるから、私の場合は若さではなく浅慮の至りだが、結果として齢を重ねたことで、ベケットが「ゴドー」に乗せた想いの多くが腑に落ちるようになった。

映画の舞台は刑務所。受刑者たちが矯正プログラムの一つとして「ゴドー」を演じる。スウェーデンの刑務所での実話が元になっており、演技を指導する俳優と受刑者の関係、心の動きを描いたと言いたいところだが、受け取ったメッセージはまさにベケットの戯曲そのもの。マトリョーシカのような作品だ。

何も持たない受刑者は、ベケットの作品に登場するウラジミールとエストラゴン。ポッツォやラッキーも同じだ。何ひとつ解決せず、記憶は薄れ、言葉はすれ違い、すべては繰り返される。結論も目標もない。

ベケットの作品と違うように見えるのは終わり方だけだ。ウラジミールとエストラゴンはそれでもただ待つことを選ぶが、受刑者たちは「待ち」の状態に終止符を打っているように見える。もっとも「見える」だけで、もう一つ外側の枠から作品を眺めると、彼らもゴドーの手のひらで踊らされているように見えなくもない。

コロナ禍やウクライナ戦争という不条理に振り回され、その終わりを待っている自分を、観る者はそのまま作品に投影してしまう。だが、第二次大戦時、レジスタンスに身を投じたベケットが結局「待つこと」しかできない、と思ったのだとしたら…。映画の原題は、勝利を意味する”Un triomphe”. 誰の、どんな勝利なのか。その解釈も我々に委ねられている。

混乱の一端

フランス出張から帰国直後の6月末、コロナ感染が判明し自宅隔離に入った。潜伏期間を考えるとおそらくフランス国内か、帰国便の機内で感染したのだろうと思う。熱と咽頭痛が出て近所の発熱外来でPCR検査、薬を処方され、2日で症状は軽快。あとはひたすらテレワーク。3回目のワクチン接種から1ヶ月半だったが、感染と発症予防効果はすでになかったらしい。

接種直後に感染した友人もいるから、その点は驚かないし、多くの人がマスクなしで動いているフランスに3週間いたから、感染しても不思議はなかった。ただ、今回の出張とその後の感染で、未曽有の疫病禍で混乱する行政の一端を垣間見ることができた。

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