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その人の世界

本棚は人を語る。
ブリア=サヴァランは『美味礼賛』の中で、「どんなものを食べているかが分かれば、どんな人間かが分かる」と書いたが、「食べているもの」と同じように、「読んでいるもの」も読み手を十分に語り得る。

初めて訪れた人の家で本棚のある部屋に通されると、どうしてもそちらに目がいってしまうが、並んだ本を介して話題がはずみ、一気に親しくなれることは少なくない。自分が読む本と似たようなジャンルであればもちろん、まったく異なる好みでも、知らない世界に扉が開かれたようで興味がわくし、相手も「教え甲斐」があるからか、お勧め本の紹介に熱意を傾けてくれる。友人の家で、本棚に新しく加わった一冊にみんなが注目してその日の話題が決まることもある。

そういう意味で、村上春樹ライブラリーは、彼の作品以上に、彼の「世界」を垣間見ることができて面白い。村上作品は漏れなく読んでいるから、読み手として、その範囲で著者を語ることはできるが、ここは作品という枠の外側から作品を眺めることができる場所といえるかもしれない。

閲覧スペースで読める蔵書は約3000冊。木のトンネルをくぐるような階段本棚の両側には、フロイトや柳田邦男、シェイクスピアやドストエフスキーなどが並んでいる。
1階のギャラリーラウンジには、村上作品の各国版。英・中・仏、韓国語などのほか、アゼルバイジャンやエストニア、バスク、モンゴル、ウクライナなど、さまざまな言語に翻訳された本が並ぶ。

翻訳本というのは、もちろん同じ物語が別の言語でつむがれているわけだが、本全体が形作る世界が微妙に異なっているように感じられることが多い。異なる言語がそれぞれに持つ音や文法、その言語が使われている場所でその単語が持っている強さや意味の幅が、そのまま物語の空気に投影されることによる違いだろうと思う。村上作品はかなり多くの言語に翻訳されているから、この違いそのものを味わうのも一つの楽しみ方になり得る。もちろん圧倒的に知らない言語が多いけれど、ライブラリーに並べられた装丁の違いを見ると、うっすらとその言語圏の読者が持つ作品の印象が分かって面白い。

オーディオルームには、村上氏が寄贈したジャズとクラシックのレコードが並ぶ。作品の中にも登場する旋律に浸っての読書は、ここならではのぜいたく。同じフロアにならぶコクーンチェアに身を預ければ、文字通りマユのようなほっこりした自分だけの空間に包まれて本に没頭できる。