言葉は慣れだ。言語として学ぶ時は、どうしても文法とか語彙、慣用句、という教科書的な話になってしまうし、大人になってから新しい言語を学ぶ時は、そこからスタートするしか方法はないけれど、子供のおしゃべりがだんだん上手になっていく時のように、最終的には「慣れた」という感覚がやってくる。そして、そういう状態で話したり書いたりするようになってから、初学者に「なぜそういう言い方をするのか」と尋ねられると、説明できなくなっていて、焦って文法書を読み返したりする。逆に言えば、何だかよく分からない、しっくりこない、と思うことも、慣れるまで繰り返し使っていれば分かるようになる、ということでもある。
フランス語と日本語が双方ネイティブの息子が小さい時、学校で友達が転んだ、という出来事を日本語で私に話す時、「今日ともだちがね、落ちたんだよ」と言ったことがある。階段や遊具から落ちて大けがしたのかと驚いて、どこから落ちたの?と聞いたら、中庭で遊んでいて落ちた、という。状況をよく聞けば、走っていて転んだ、という話。日本語もまだ十分ではなく、Il est tombé というフランス語を日本語に直訳した結果だ。彼の中では、tomber というフランス語につながっていた日本語は、モノが落ちる、という時に使う言い回しだけだったのだろう。聞いたこちらが、Il est tombéというフランス語に”逆訳”し、転んだのね?とより的確な日本語に再訳する、という作業を繰り返す。双方の言語がしっかり根付くと、うまい具合に両言語の間を行き来するようになる。双方の単語や表現、独特な言い回しをつなげる糸が太くなるからだ。
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