月別アーカイブ: 2020年10月

頭の切り替え

言葉は慣れだ。言語として学ぶ時は、どうしても文法とか語彙、慣用句、という教科書的な話になってしまうし、大人になってから新しい言語を学ぶ時は、そこからスタートするしか方法はないけれど、子供のおしゃべりがだんだん上手になっていく時のように、最終的には「慣れた」という感覚がやってくる。そして、そういう状態で話したり書いたりするようになってから、初学者に「なぜそういう言い方をするのか」と尋ねられると、説明できなくなっていて、焦って文法書を読み返したりする。逆に言えば、何だかよく分からない、しっくりこない、と思うことも、慣れるまで繰り返し使っていれば分かるようになる、ということでもある。

フランス語と日本語が双方ネイティブの息子が小さい時、学校で友達が転んだ、という出来事を日本語で私に話す時、「今日ともだちがね、落ちたんだよ」と言ったことがある。階段や遊具から落ちて大けがしたのかと驚いて、どこから落ちたの?と聞いたら、中庭で遊んでいて落ちた、という。状況をよく聞けば、走っていて転んだ、という話。日本語もまだ十分ではなく、Il est tombé というフランス語を日本語に直訳した結果だ。彼の中では、tomber というフランス語につながっていた日本語は、モノが落ちる、という時に使う言い回しだけだったのだろう。聞いたこちらが、Il est tombéというフランス語に”逆訳”し、転んだのね?とより的確な日本語に再訳する、という作業を繰り返す。双方の言語がしっかり根付くと、うまい具合に両言語の間を行き来するようになる。双方の単語や表現、独特な言い回しをつなげる糸が太くなるからだ。

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共有できるもの

秋晴れの朝。家族の朝食を作り、果物のジュースをコップ一杯飲んでから、着替えて外に出る。近所の公園を2周。走ったり歩いたりしながら、のんびり朝の空気を吸う。

今年初め、新型コロナウイルスの感染拡大が始まってから家にとどまる生活が続き、その間にあっという間に季節が回った。世界中が動から静へと転換を余儀なくされ、経済は急降下しても、自然は歩みを止めない。大好きな金木犀が香る1週間が矢のように過ぎ、家の前のソメイヨシノは葉の色を変え、中庭のケヤキの葉はどんどん落ちている。そして公園のススキは、立派な穂を朝の風に揺らしている。

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柿のタルト

昔はあまり柿を食べなかった。果物なら桃とか梨、いちごの方が好きだし、柿はお菓子作りにも向かないと勝手に思っていた。ところが、バターでソテーした柿の味をフランスで知ってハマってしまった。


もちろん柿はアジアの果物だけれど、最近はパリの市場でも季節になるとkakiとして売っている。えびす南瓜もHokkaidoという名前で出ている。

柿は形が崩れないようにそっとバターでソテーして、シナモンやカルバドスで香りづけ。甘すぎないようにブリゼ生地を作って、これにソテーした柿を並べて焼く。

オーブンから漂う甘い香りは、在宅仕事のちょっと内向きなストレスを穏やかに流してくれる。焼きあがる前にコーヒーを淹れて、焼きたてのタルトでお三時。おやつ作りはちょっと時間を取るけれど、食べる家族の笑顔にも癒される。

82년생 김지영

何年生まれか、どこの国か、にかかわらず、多くの女性がこの作品の一場面に自分を重ね、嗚咽(おえつ)する。ありふれた日常生活の一コマでありながら、優しい言葉でありながら、その向こう側にある目をそむけたくなるほどの無理解が胸に重くのしかかる。女性たちの絶望が詰まった本、とも形容される韓国のベストセラー小説を映画化した「82年生まれ、キム・ジヨン」が公開された。誰かの妻であり、母である以外の「自分」を失い苦しむ女性たちの孤独を、静かに、しかし確実に告発する作品だ。

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