沈黙のレジスタンス、夜と霧

意図したシンクロではないが、ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」を再読、映画「沈黙のレジスタンス」を観た。前者は1946年出版の、言及するまでもない名著。後者は、ナチス・ドイツに支配されたフランスで、多くのユダヤ人の子どもたちを助けたフランスの著名なパントマイム・アーティスト、マルセル・マルソーを描いた作品だ。

フランス北東部、ドイツ国境のストラスブールに生まれたマルセルは、チャップリンに憧れ、父親の反対をよそにパントマイムに熱中していたが、ナチスに両親を殺され、ドイツ国境を渡ってきた孤児たちを保護する活動に加わる。生きる気力を失い座り込む子どもたちだが、シンプルで音のないマルセルのマイムにひきこまれ、少しずつ笑顔を取り戻していく。ナチスの勢力拡大でフランス南部に避難し、マルセルはレジスタンスに身を投じる。だが、肉親を殺され、ナチスへの復讐に固執する仲間に、「ナチスを一人殺すより、一人でも多くの子どもを救いたい」と、子供たちを連れてスイスへ逃避行。ユダヤ教徒として育てられた子供たちが、列車の中でゲシュタポを前にキリスト教徒を装い、讃美歌を歌う場面には心が痛む。言葉も音もないマイムが、出自を語ることが死を意味したユダヤ人の言葉にならない苦痛と重なる。一方で、相手への侵襲を伴わないマイムという平和的なコミュニケーションの威力もじわじわと伝わる。映画「独裁者」などで有名なチャップリンとマルセルが重なって見える瞬間がある。

マルセルの父親はアウシュヴィッツで亡くなっている。作品に登場する「リヨンの虐殺者」と呼ばれた親衛隊員、クラウス・バルビーは、レジスタンス弾圧の任務で多くのユダヤ人を殺害した一人。戦後は映画に描かれていないが、その経験と情報収集能力を買ったアメリカ、ボリビア、イタリアなど各国で偽名を使い、バルビーは実業家として成功。フランスに「罪人」として引き渡されたのはなんと1983年だ。

「夜と霧」の著者は精神科医として、強制収容所の体験を務めて客観的に観察、分析するが、その過程で生まれた大きな問いの一つは、「環境にあらがう(内的)自由は人間にはあるのか」という点だった。著者はある、という。極限状況の中で、どのような覚悟をするかという一点に、生きることを意味あるものにする可能性がある、と。死と隣り合わせの収容所の中で、後に英雄的な行為と賛美される命を賭した善行が少なからずあったことを考えれば、人間の内面は外的な運命より強靭だと言える。ほんの一握りの人であっても、内面の自由を保つことができる人がいたことは事実だ。

ビスマルクが「人生は敗者の椅子に座っているようなものだ。さあこれからが本番だ、と思っているうちに終わってしまう」と言ったという。著者は、収容所の中では多くの人が、今に私の真価を発揮する時がくる、と思っているが、強制収容所の中こそその真価を発揮する場所であったと書く。目的をもって生きることができる現代の環境は幸せだが、一方で、その瞬間の喜び、苦痛を正面から全身で受け止めることの価値、目的地にたどり着くまでの過程こそが意味を持つ時間であることを、マルセル・マルソーもフランクルも教えてくれている。